活動日誌
市内網の目平和行進 右京コース




京都ファミリー西口を出発し、葛野大路南進~四条通り東進~ラボール京都前解散での平和行進。昨年60名の参加から今年は80名と多数の方に参加していただきました。
核兵器なくそう
武力で平和は守れない
抑止力いらない
ミサイルいらない
祝園弾薬庫増設反対
トマホークいらない
ミサイルいらない
敵基地攻撃絶対反対
憲法活かして平和を守れ
憲法変えるな 政治を変えよう
戦争したがる 政治家いらない
高市総理は憲法守れ
ロシアは侵略ただちにやめろ
アメリカ停戦合意を守れ
戦争やめろ
平和を守ろう
ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアビキニ・ノーモアフクシマ・ノーモアヒバクシャ
コールを響かせ、「折り鶴」「青い空は青いままで」などの歌声も響かせました。
(更新日:2026年07月04日)
山口咲子府政政策委員と朝宣伝
八鹿高校事件と八鹿高校生徒自治会 自由な学園の生徒たちの戦い
八鹿高校事件は私が大学入学間もないころでした。
八鹿高校では、職員会議も管理職主体ではなく職員主体に運営されていました。生徒の自治活動も「生徒会」ではなく「自治会」として運営され、高校では珍しく全学連加盟していました。
当時の「兵庫方式」で、各中学から各高校への進学者数が割り当てられ、八鹿高校には中学の上位者が進学していたそうです。エリート高校だったのかな。
生徒と先生も対等な関係で「自由で明るい」高校で自治会活動も生徒中心。LHR(ロングタイムホームルーム)も、よその学校では教師主体だったのが、教師の関与は少なく生徒が主催。
授業も教科書はあまり使わず、実践的、体験的教育が様々取り組まれています。
教員と生徒の距離も近く、授業以外では対等。
そんな八鹿高校に解同が襲い掛かったのが八鹿高校事件でした。
校長、教頭が部落解放同盟の圧力に屈し、警察・県教委。八鹿町が解同の無法を容認する中、凄惨な事件が起こりました。
事件前から解同が大量に八鹿高校に入り込み、1974年11月22日事件が起こりました。
11月22日,集団登校後、各HRで担任が、授業を打ち切り、年休を取って教員は集団下校と生徒に伝えます。
先生たちは解同によって路上から暴力的に連れ戻されたことを知った、生徒自身が自主的に判断し解同の無法を許さないと毅然と闘った記録です。
「暴力反対!」「先生かえせ!」と声をあげ、警察と解同と正面対決!
八鹿高校事件後も大阪でも解同の「糾弾会」がしばしば起こっていました。暴力的支配、排外主義は絶対許せません!

(更新日:2026年06月25日)
市政報告№372号です
市政報告№371号です!
NO.371pag
5月市会で2億85百万円の補正予算が成立しました。
こどもの医療費支給制度の拡充、京都版CDCの創設、リチウムイオン電池火災対策などの経費を補正するもの。
今回の補正予算には、肝心の最も重要課題であるイラン戦争・原油高騰に対する市民生活・生業への独自の支援が含まれていません。
令和8年度の財政調整基金の繰り入れ額は約72億円あります。 国まちにならず、財政調整基金を活用し、疲弊している京都経済・中小零細企業対策、深刻な医療分野支援に全力を挙げることを強く求めました。
№371pagをクリックしてください。
(更新日:2026年06月08日)